ゆるめの観察日記

書き留めたい衝動に駆られたら。

今までもこれからも

昔からずっと思っていたことがある。


仕事中によく見る光景なのだが、


二人の男の子が同じブロックで遊んでいて、

Aくんが車を作って楽しんでいたら


もう一人のBくんも羨ましくなってきた。

でも車を作るためのパーツは一人分しかない…


無言でAくんの車を取ろうとするBくん。


その場面を見ていた保育士は


「車が羨ましいんだろうな」

「自分も作りたい という気持ちを言葉に出せるように援助しないと」


と考えて仲立ちをする必要がある。


その場合ほとんどの保育士はBくんに対して


「Aくんに 貸して? って聞いてみたら?」


と提案するだろう。


このあとAくんが


「いいよ」


と言ってくれたらその場は丸く収まるが、

大体納得いかないことも多いので

しばらく二人の攻防は続くのであった…



と、このやりとりの中で私がいつも思うのが

「貸して」 「いいよ」 問題。


これって大人に置き換えると納得いくのかな?と。


お気に入りのものを貸さないといけない気持ち。

結構勇気のある行動では?と思ってしまう。


このやりとりを日常茶飯事のようにこなす子ども達はある意味凄い。



ここで大事なのが大人の関わり方。


二人の間に入って強制的にAくんの車をBくんに受け渡すことは簡単にできる。


「貸して」 「いいよ」 を召喚することで。


でも、Aくんの気持ちはどうだろう。


「せっかく遊んでいたのに…」

「いいよって言ったけどまだ遊びたい…」


と思っているだろうし、

その後も引きずってテンションが下がってしまうかもしれない。


一方、この場ではラッキーだったBくんも、しょんぼりしているAくんを見た時に何か思うことがあるかもしれない。



ただし、年齢が高くなるにつれて条件を付けることも出来る様になっていく。


例えば

「時計の針が12になるまでは遊んでていいけど、そこでBくんに貸してあげよう」


とか

待っているBくんに対して


「貸してくれるまでこっちで遊んでよう」と違う遊びを提案するなど。



というか(ちょっと話は逸れるが)

そもそも「貸して」の返事が必ずしも「いいよ」である必要はないし、


「いやだ」「いまは貸したくない」という意思表示もあっていいと思う。


このやりとりを通して折り合いをつけていくことが成長につながると私は考えている。



子ども達が揉め事を起こした時にすぐに間に入っていく保育士もいるけど、私は圧倒的に見守りたい派だ。


双方の気持ちに寄り添ってあげて最後には納得いく結論に持っていきたい。


でも相手はいろんな性格の子ども達。


「ただ子どもと遊んでいるだけ」

と言われがちな保育士だけど、

今までもこれからも悩みは尽きない。