ゆるめの観察日記

書き留めたい衝動に駆られたら。

宗教の勧誘に遭遇した話

少し前まで10〜14時(バイト) →空き時間→ 16時〜(保育園パート)

という勤務形態を取っていた。

 

大体14時30分頃から1時間軽いお昼ごはんを食べて、

その辺りのベンチに座って時間を潰していたのだが、

 

先週のとある日、大学生くらいの若い女の人に突然声をかけられた。

 

「大学の授業で使うアンケートを取っています」

開口一番そう言ったはいいが、日本語がたどたどしい。

聞くとどうやらその女性は韓国人のようだ。

 

16時の勤務開始時間まであまり時間はなかったが、

話を聞くくらいなら、と黙って聞いていると女性は早口で話し始める。

 

iPadでスライド方式にして絵や文字を見せながら

『世界中でコロナや地震ウクライナでは戦争が起こっています』

『災害から逃れるにはどうしたらいいですか?』

(日本語で言ってくれてるけどカタコト) こう伝えてきた。

スライドの中には日本語と一緒にハングル語でも書かれていた。

 

急にどうした?という思いは隠せなかったけど、

「ゼミとかでそういう研究があるのかな」と軽い気持ちで話を聞き進める。

 

すると途中で急に

『イエス様 がどうたらこうたら…』

『災難が起こって大変な時はシオンに逃げれば良い』

 とか言い始め、うっすらと宗教らしさを感じ取り始める私。

(この辺から心の中で笑っていたけど一応聞き続けた)

 

途中にもなにかを熱心に説明してくれていたのだが、

内容に興味がないことや、あまりにも説明が早口すぎて覚えていない

 

 

そして最後にその女性が放った一言が、

『過越祭(すぎこしさい)に参加したら大丈夫です!(パワーで押し切る)』

 

続けて

『それは土曜日です!(明後日)』

『一緒に来ませんか?!』だった。

 

「あぁ、そういうことね」と全てを悟った私はこう返した。

大丈夫です」

 

 

すると、ずっと後ろにおるなと思ってたおばさん(日本人)が

一歩前に出てここぞとばかりに同じ内容をもう一度話し出す。

 

多分そういう手法なんだろうなぁ、上手いこと出来ているなぁ、

と感じながらも、

「土曜日は用事があるので」と流したら去っていった。

 

歩いていく後ろ姿を目で追っていたら、

・大学生くらいの女性(韓国人)

・おばさん(日本人)

・スーツを着た若い男性

の3人が並んで話しながら歩いていた。

 

その後気になってTwitterで「過越祭 勧誘」と調べたら、

私と全く同じ手法で話しかけられた人がわんさか出てきた。

 

こんな勧誘に引っかかる人なんているのか?という疑問しか湧かず、

ブログのネタとして消化するためだけに最後までを話を聞いたが、

いろんな人がいるなぁ、まだまだ知らない世界があるなぁと

違う意味で感心した平日の昼下がりでした。

 

皆さんも宗教勧誘(路上)には気をつけましょう。笑

思い出はいつまでも

先日出町柳に行った。 彼氏が大学生活を四年間過ごした街である。私が初めて出町柳を訪れたのは大学四回生の年の時、もう働いていたので保育士一年目の時だった。

 

それまで京都といったら有名な名所や、河原町にしか行ったことがなかったので鴨川デルタや下鴨神社に歩いていけるということに驚き、自然溢れる素敵な場所だなぁと感動した。

 

その後彼が京都を離れた今でも、何度か機会を見つけては出町柳へ行った。わざわざ足を運ぼうとするほどの魅力がそこにはあるのだ。

 

たくさんの思い出がその場に残り続け、一定期間離れていたとしても、再訪するとすぐにその時の記憶が蘇ってくる。

 

自分に置き換えて考えると、生まれた時から数えて今の家は三つ目になる(多分)

 

一番初めの家には生後から四歳の春くらいまで住んでいた。

記憶は正直無いに等しいくらい薄まってしまったが、家が長い坂を登った上にあったことや母と車で保育園へ朝向かうときにB'zを流さないと不機嫌になっていたこと…お風呂が古過ぎてシャワーではなくてホースで身体を洗っていたり…なんとなくうっすらと覚えている。

 

それから二代目の家へと引っ越したのが年中の時だった。この家では小学六年生まで過ごしたのでかなり印象強いし、今でもその街への愛着がある。

 

書き出すと思い出は山ほどあるが、今回焦点を当てたいのが川だ。

 

校区内にまあまあ長くて綺麗な川があった。 都賀川という。

春には川沿いに桜が満開に咲き、山の方から海沿いまでたくさんのお花見スポットが現れる。

 

桜と阪急電車 毎年必ず写真を撮りに行っている

ちなみにコロナ禍前はこの賑わい

 

やがて初夏を過ぎ、暑さ厳しい夏になると川開きで大勢の子どもたちが水遊びをしにやってくる。

自分も小学生時代は家族や友達と遊びに行っていた。特に楽しいのが川幅が狭くなっていて流れの早い所だった。そこを上から滑ると擬似スライダーみたいで楽しく、夜になるまで遊んで帰っていた。

 

本来都賀川ではバーベキューは禁止だが、している人もたくさん居る。確かに楽しい気持ちは分かる。けど近隣に住んでいると辞めてほしい気持ちの方が強くなったので都賀川ではバーベキューはしないでください…笑

 

そんな感じで幼少期の都賀川の印象は【楽しいところ】その一点だった。

 

しかし、その印象が変わってしまった事故があった。

それが「都賀川水難事故」だ。

 

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a.m.wikipedia.org

 

当時中学一年生だった。 小学六年生の三学期に引っ越した私は、奇しくも都賀川からとても近い場所に住んでいたのでこのこともよく覚えている。

 

その日部活をしていたのだが、昼すぎにかけて雨足が強まり雷も強くなっていた。

音楽室にいたが、途中で校内が停電してクーラーも切れたのでびっくりしたのを覚えている。多分警報も出ていたが、コンクール前の大事な時期ということもあって、そのまま最終下校時間まで部活をして家へ帰った。

テレビを見ると水難事故について夕方のトップニュースとして報じられていた。十六名の方が流され、結果として五名の方が亡くなった痛ましい事件だった。

 

今まで親しみある川だった都賀川が突如として「怖いところ」「行ってはいけない場所」になってしまい、道を歩く人はいなくなってしまった。

 

その後整備を行い、川が増水する恐れのある降雨時には非常灯で知らせてくれるシステムや、川へ降りる階段や坂道に扉が設置され、数年後にはふたたび賑わいを戻していった。

 

その頃に我が家にやってきたのが愛犬のジャックだった。

初めて犬を飼うということもあって、どこに散歩にいけばいいのか迷っていた。なんせ大きいしいっぱい散歩しないといけない。「中型犬」と動物病院では言われたが、全然大型犬でもいけるくらいの体格をしていて、小型犬とよく遭遇する普通の道もちょっと気をつかう。

 

そこで散歩コースに選んだのが都賀川だった。 信号はもちろんないし、河口の方から北上していくと結構な距離があるし、往復で歩くと結構いい運動になる。人が少ない時は走ってもなんの問題もないのでよく下りはダッシュしたりしていた。ジャックが引っ張ってくれるので異常なスピードが出る。さすが雪ゾリ犬。 (何度も転けそうになりました、危険。)

 

夏には川に入れてあげたりもした。ジャックは足が長いから全身水に浸かるには水位が足りないが、それでもお腹あたりまで水に浸かって楽しそうにしていた。ジャックの他にも気持ち良さそうに川へ入っている犬がたくさんおり、人にとっても犬にとってもこの街において欠かせない川だと感じていた。

 

そんな川にもジャックがいなくなってからはめっきり行くことが無くなってしまった。

散歩していた時によく見かけていた犬がいたが、最近ジャックが歩いていないから向こうにも「あのハスキーいないな…」と思われているんじゃないか、なんて思ってみたりする。

(自慢みたいになるけどジャックはイケメンだったからモテていた)

 

それと逆のこともあった。ずっと見かけていた犬がどんどんゆっくりと歩くようになり、いつの間にか姿を見かけなくなってしまう。散歩中にしかお目にかかれない関係であってもそれを悟るとなんだか悲しくなる。

 

 

 

結局なにが言いたかったのかというと、自分にとって馴染みの深い場所(店や母校など)はずっと変わらないまま残っている保証が無いが、川や海・山。それらのものは余程のことがない限りそこに在り続ける。

 

川はずっとそこにあり、久しぶりに赴いたとしてもすぐ当時の出来事を鮮明に思い出させてくれる。これからもずっとずっと無くならないでいてほしいと願う。

 

 

 

こぼす意味

 


近年流行しているネオ町中華の店。

 

何回か訪れたことがある。

 

本格的な中華料理を手軽に楽しめて

 

値段も割と安めなことが多い。

 

その中で一つ気になるメニューがあった。

 

『こぼれ麻婆』↓

 

 

これぐらい表面張力ギリギリで耐えた盛り付けで

 

下の皿は保険、くらいならまだ良いけれど、

 

 

これってどうなん?

 

下のお皿に落ちてしまった具材たちは食べるべきなのか?

 

お皿を伝う汁がなんかもったいなくない?

 

というかそもそも見た目が美しくないよな…?

 

 

などなど思うことがいっぱい出てきてしまう。

 

その一方で、こぼしても良い物もある。

 

むしろこぼしてくれたほうがラッキーなぐらい。

 

それがこちら↓

 



\枡になみなみに注がれた日本酒/

 

これは最高です。

 

店員さんが注いでくれている時は視線が枡に集中…

 

お猪口に注ぎ終え、枡もなみなみになろうとした時に

 

手前で注ぐのを辞めてしまう人が時々居る。

 

内心「あー、勿体ない…」と思いつつ飲み始めるが、

 

ちゃんと分かっている店員さんは上の写真ぐらいに

 

絶妙なこぼし加減で注いでくれる。これが最高なのです。

 

 

 

麻婆豆腐との違いは、溢れているところも飲み干せるし

 

見た目が美しいところだろうか?(透明だから?)

 

人それぞれの価値観があるからこぼれ麻婆豆腐を

 

「美しい」「これくらいこぼして欲しい!」という

 

考えも決して否定はしない。

 

ただ食材を無駄にしている感が否めないと思うので、

 

やっぱり私は日本酒派だな、と思う日曜日の夜でした。

 

(締め方まじでわからん ふわふわしすぎ)

 

 

旅のきっかけ


長く続くコロナ禍において「旅に出よう」と

安易に思えなくなってしまった今日この頃。

 

 

少し前にあったGO TO トラベルしかり、

今年のサイコロきっぷしかり…

そういう施策には乗っかってしまいがち。

(まぁ、ええやろとハードルも下がる)

 

もちろん感染対策などはしっかりした上で、

こういった取り組みはとても良いことだと思う。

 

 

今回のサイコロきっぷは自分の周りでも話題に上がり、

「どこが当たった?」など報告を聞くのも楽しかった。

 

 

サイコロをWeb上で振って、当たった行き先へ

往復5,000円で行けますよ!といったもの。

 

シンプルで分かりやすいし、

「どこが当たるだろう」というワクワク感や

自分では選ばないような場所に当たったとしても

それはそれで新鮮で旅の計画も楽しめるだろう。

 

今回私たちが当てたのが広島県の『尾道

 

市内周辺しか行ったことがなかったため、

その時点で既に嬉しい気持ちになった。

欲を言えば博多も期待していたが、それはまたの機会に。

 

 

そして先日ようやく尾道へ行ったのだけど、

新大阪駅福山駅までは新幹線、

福山駅尾道駅までは在来線に乗り換えての道中…

明らかに周りの人の話し声が関西弁過ぎる。

(話を聞いていると地元の知っている地名が出てきたり…笑)

 

サイコロきっぷやそれ以外で観光に来た人もいるだろう。

広島に来ているのになんだか不思議な感覚だった。

 

でも、街が賑わっていて観光していてとても楽しかった。

詳しくはInstagramに投稿しているのでそちらで。

 

 

 

一つだけ思ったことといえば、夜の街の寂れ具合だろうか。

尾道駅の近くには西方向に長い商店街がある。

飲食店などがたくさんあり、歩いているだけでも楽しい。

 

ただ、祝日の夜でも閉まっている店が多く、

商店街を歩き終えて20:00頃には辺りはすでに真っ暗。

 

「深夜か?」と錯覚するほどに静かな街。

 

これはこれで羽目を外さずに済むからいいのか、

と思いつつ不完全燃焼なまま夜道を歩きました。

 

これもこれで旅のいいところ。

関西に住んでいると夜でも店が開いているのは

当たり前だと思い込んでしまっていた節があった。

 

古き良き街並みの『尾道』に行ってみて、

 

 

 

旅のはじめ

子どもの頃から歩くことが好きだったと思う。

 

1番覚えている「歩いた」エピソードが年長(5歳)のころ。隣の区にある祖父母の家まで1人で向かった。

 

電車で3駅、ここまではまあ想定内の距離だろう。ただ、祖父母の家までは駅から歩いて1.5km程あった。

 

何度も祖父母と歩いたことはあったし、北から南への一本道を進むだけだったので迷う心配もなかった。

 

その日は1人で最寄駅から祖父母の最寄駅までは1人で電車に乗り、そこで祖母と落ち合う予定だったがなぜか時間を守らず勝手に1人で行ってしまった。(早く行きたかったのだろうか)

 

結果として無事に辿り着けたからよかったが、これが今のご時世なら幼い子どもが1人で電車に乗り歩いているだけで保護されたりしていたのかもしれない。

 

(後から聞いた話では駅の構内放送で迷子の案内を流して探されていたらしい… だからこそ当然のように祖父母の家へ行くと驚かれた。笑)

 

 

個人的には「可愛い子には旅をさせよ」賛成派である。

 

1人だからこその緊張感もあり、達成感もある。 もちろん危険な面もあるかもしれないけど、将来子どもが生まれたら1人で旅をさせたいとも思う。

 

ただ、「はじめてのおつかい」 あれは違うなとも思う。

 

子どもにおつかいをさせる、というねらいは理解できる。

ただ番組を見ていると明らかにおつかいに向いていない低年齢の子(例:オムツが取れていない)が出ていたり、大人でもメモがないと覚えられないような品数の物を買ってくるよう要求していたり…

 

「大人のエゴでしょ?」と思わずにはいられない時がある。

 

曲がりなりにも子どもの発達段階を学んできた保育士から見ると違和感しかない事例がゴロゴロと転がっている。

 

可愛い子には旅をさせよ」を実践するのはせめて5歳くらいからにしよう、と心に決めつつそれを自然とやっていた自分には驚かされる。

 

人生の分岐点

 


タイトルがかなり大袈裟な気もするけど

確実に大きな出来事があったことに違いないので

少し気持ちの整理がついた今だから書き留めておく。

 

 

時は遡って先月末。

中学3年生の頃に我が家へとやって来た愛犬のジャックか

7月に入ってから今まで以上に著しく弱っていっていた。

もともと暑いのは苦手だが今年は本当にしんどそうで、

食べることが大好きだったのにおやつを拒むようになり

朝晩2回の食事もほとんど口にしなくなっていた。

 

12歳の老犬にとって「食べない」という状態は

あまり先は長くないという意味を指すことは分かっていた。

いままで犬と一緒に暮らしたことのなかった私にとって

ジャックとの生活全てが初めての体験だった。

 

老いてきているという実感は一昨年くらいからあった。

ただ、どのようにして生涯を終えるのか…?

考えたくもなかったし、本当に最後まで分からなかった。

でも冷静で居たかった私はネットの海へと飛び込んだ。

 

今時、調べるといくらでも情報は出てくる。

「老衰 犬 最期」など思いつくワードを入れては読み漁る。

リアルな体験記を書いている人もいた。咄嗟に目を背けた。

 

別れが近いことを悟りつつもまだ離れたくない気持ち。

葛藤しながらもジャックはどんどんと弱っていく。

排泄のコントロールが上手く出来なくなっていたので

ジャックがいる場所の横で寝る生活を2週間続けた。

昔から粗相してしまった時は鳴いて教えてくれていたが

今は声も出ず、静かに部屋へ歩いて来てくれたのには驚いた。

 

介護生活が始まってずっとジャックが気になり眠れなかった。

少し寝て目が覚めては息をしているかどうかを確認し、

外で用を足したいジャックのために散歩へ出たりもした。

 

しかしその生活も長くは続かなかった。

食欲が無いから体力も減り、日に日に動かなくなる身体。

遂に後ろ足が言うことを聞かなくなってしまった。

それでも排泄をして欲しいと考え、タオルを使って担架のように

ジャックを運んで外へ出たりもした。とてもしんどそうだった。

 

 

 

この『 ジャック介護生活、真夏編 』と並行して、

我が家ではもう一つ大変なことが起きていた。

 

2月から入院していた祖父の危篤のしらせ…

元々2月に入院したのも心停止したからであって、

むしろ夏まで命を繋いでいたのは奇跡のようだった。

そんな祖父もそろそろか…と病院から連絡があった。

 

祖母はほぼ毎日のようにこの暑い中面会に行っていた。

さすがに疲れが溜まっていたのだろう。

7/31の午前中、いつものように面会へ行って帰宅した時、

胸に少し違和感があったらしい。なんだか息も苦しい…

同じマンションに住むお友達に相談しにいったところ、

救急要請を進めて下さった。 すぐさま病院へと緊急搬送。

すると心筋梗塞に近い状態 (たこつぼ型心筋症) と診断され、

あれやあれよと言う間にICUへ。 緊急手術が行われた。

 

発見が早かったこともあり、結果からすると経過はとても良く、

いまは今まで通りの元気そうな姿を見せてくれている。

しかし、祖母が入院をして面会に行けなくなったからだろうか…

祖父はタイミングを見計らったかのように息を引き取った。

8/4のよく晴れた午前中だった。

祖母にはすぐには伝えず、息子である私の父に連絡が来て、

病院へと向かいその場で死亡の確認を行った。

 

翌日には葬儀が行われたが、スムーズな進行の裏で

祖母が事前から準備していたことを私は知っている。

女性は本当に強い。 祖父が心停止しか2月の時から

来るべき時に備えて葬儀などの手続きを済ませていた。

なので入院してしまっていた祖母も外泊許可を得て参加していたが、

少しでもしんどい思いを減らすことができただろう。

 

 

 

話はジャック編へと戻る。

この葬儀の間にもジャックはどんどん衰弱していた。

通夜・告別式には家族で参加したので家を空けないといけなかった。

色んな意味で気が気ではなかった。

もし留守中にひっそりと息を引き取っていたら…

考えれば考えるほど悪い方向へ発想は飛ばされる。

 

幸いにも祖父母の家から我が家は近かったので、

用事が終わればすぐに家へと戻り介護の日々へ引き戻される。

正直身体と心の色んなところがおかしくなりそうだった。

 

犬の介護はどれだけ続くかわからない。

数日や数週間、何年も続くこともあるそうだ。

弱っている状態を見るに、この夏を越えられるかどうかは、

正直怪しいんじゃないかと、うっすら思っていた私は

なんとか頑張ろう、と気合を入れてジャックと向き合って来た。

 

それでもなかなか上手くはいかない。

生活環境を整えてあげようとしていた時、

ペットシーツに乗った手を少し動かした時に思い切り噛まれてしまった。

大型犬の本気の一噛みは尋常じゃないくらい痛い。血もいっぱい出る。

今までにも何度か手や腕を噛まれたことはあったが、

メンタルがやられている時の一噛みは流石に堪えてしまった。

それでも介護をしてあげないといけない。

「この生活が早く終わればいいのに」と思うようになっていた。

 

 

そんな極限状態の中で祖父の葬儀を土曜日に終え、日曜日が過ぎ

仕事のある月曜日。いつものように弱っているジャックを横目に出勤し、

退勤してすぐに携帯に目をやる。父からのラインが入っていた。

 

「ジャックがやばいかも」「目に力がない」

 

嫌な予感がして早歩きをして家へと向かう。

帰宅すると、たしかに目がうつろで息もゆっくりな状態…

今夜は眠れないだろうと覚悟をし、家族はそれぞれ順番に

食事をとりながらジャックのそばに居てあげていた。

 

晩御飯を食べ終え、長い夜を覚悟した上でコンタクトレンズを外しに

洗面所へと向かい用意をしていた時に階下から大きな声がした。

 

ジャックのそばに居てくれていた弟①が

「誰か来て、止まってるかもしれん」と言っている。

急いで階段を駆け下りジャックの元へと向かう。

確かに息をしていない… 開いていた目も閉じている。

 

話を聞くと、洗面所へ向かう時に私と入れ違いで弟①が来て

ジャックの隣に座った時にふっと力が抜けたように脱力し、

失禁をしたかと思った次の瞬間には息を引き取っていたようだった。

 

 

ジャックは弟①のことが本当に好きだった。

家族が帰宅した時に見せる反応はそれぞれ違っていたのだが、

主におやつをくれる母と弟①にはテンションが上がっていたのだ。

声を出してハイテンションで出迎えていた。

(ちなみに私と父はお世話をよくしていたのに塩対応だった)

(それはそれでジャックの可愛いところなので気にしていない)

 

そんな大好きな弟①が来てくれたことによる安心感からか、

苦しむこともなくゆっくりと息を引き取ったジャックの顔は

本当に最期の最期までイケメンだった。まだ動きそうだったし。

 

でも本当に大変なのはここからだと言うことも知っていた。

2〜3時間ほどするも死後硬直してしまうため、

前足と後ろ足を身体の方に丸めて全身を拭いてあげた。

ショックではあるし悲しいのはもちろんだけど、

何かしら身体を動かさないと気が気じゃなかった。

母に「あんた気丈やなぁ…」と感心された。

そういうところも自分らしいなと思った。

 

その翌日には大きな段ボールやドライアイスなどを

父が手配してくれて、程なくして火葬場へと家族と向かった。

 

なんだか最期は呆気なかった。

調べればペットの葬儀も人間同様に行えることも知っていたが、

骨壷が帰って来たところで悲しみは消えないのだろうし、

色々家族会議をした結果、火葬だけを行うことに決めた。

 

山奥の斎場につき、重量を測ってもらう。

以前病院で測ってもらった時よりだいぶ軽くなっていた。

 

その日には時間が遅いからと火葬してもらえなかった。

翌日の朝一番に、と言ってもらいその場を後にしないといけなかった。

なんて残酷なんだ…と思ったがこれもけじめか、と思うしかなかった。

 

12年5ヶ月一緒に居たジャックとの別れはあまりにも呆気なかった。

涙も出なかった。

亡くなった、と言う悲しみはむしろ少なかったんじゃないかと思う。

日に日に弱っていく姿を見ていたので、覚悟はできていた。

むしろ2週間経った今、「本当に居ないんだ」という実感が湧いて

ペットロス状態に陥っている。これはこれで結構悲しい。

 

今まで当たり前のように朝・晩2回の散歩に一緒に行っていた。

それがなくなった自分の日常はあまりにも退屈で面白みがない。

人生が無色に変わってしまったような気がする。

 

散歩コースだった道を一人で歩く、、、

いつも隣に居たジャックはもう居ない。

 

遺骨は戻ってこないし、ジャックの食べていたおやつなどは

知り合いに分けてしまったので居た形跡は無くなってしまった。

空っぽで少し広くなった玄関。なんて寂しいんだろう。

 

もう一度でいいから一緒に散歩に行きたかったなぁ。

最後にちゃんと歩いて散歩へ行った日、ジャックは途中で

道の真ん中に倒れ込んで動けなくなってしまった。

あれが最後の散歩になるとは思っていなかったけど、

もっと早く切り上げて家に帰ってあげていれば…なんて

後悔はいくらでも出てくる。 でも正解なんて未だに分からない。

全力で向き合ったこの経験は、きっと一生の財産だ。

 

 

締め方がわからなくなってしまったけど…

私の人生において大きな影響を与えてくれたジャック。

本当に本当に長い間ありがとう。

朝起きられない私がジャックの散歩のために起きたり、

実は生活にかなり影響を与えてくれていたんだよ。

朝起きる意味がなくなってしまった今、時間を持て余しています。

 

今頃何をしているんだろう。

また前のように歩けているのなら、

大好きな散歩をいっぱいしていてください。

もしかしたらいっぱい仲間ができているかも?

ささみもいっぱい食べてね。

 

ずーっとずっと、だいすきだよ。

 

個性のぶつかり合い

前回の投稿から100日が経っていて、さすがに放置しすぎてやばいと思ったのでゆるゆると。



最近よく思うことについて。


職場の保育園では主に3〜5歳の幼児を見ているが、下に兄弟がいる長男・長女が大半を占めている。


一人ひとり性格が違うのは当たり前だけど、長男・長女の子たちは皆【自分より年下の子に対しての接し方が優しい】ことが多いと感じる。


一方で一人っ子の子はどうだろうか。


家庭では自分一人しかいない環境だからか、保育園で関わる下の年齢の子に遊びを邪魔された時の対応を見ているとすこし気になることがある。


〜〜〜


〜2歳の男の子と5歳の女の子の場合〜

(お互いに一人っ子)


5歳の女の子と車のおもちゃの転がし合いをしていた。しばらくして女の子が足でトンネルを作ったので自分が車をそこへと走らせる。 

その様子を見ていた2歳の男の子。 自分もトンネルを作りたくて女の子の前に立って足を広げる。


2歳の子に対してはこちらから「一緒にしたいんだよね」「いれてって言ってみよう?」など声掛けをして共に遊べるように援助していくのだけど、5歳の女の子は自分の前に立った2歳の男の子に対して「やめて!邪魔!」といって身体を押してしまった。



5歳の子の気持ちも2歳の子の気持ちもわかる。


⑤→先生(私)とのマンツーマンの遊びを小さい子に邪魔された。嫌な気持ち。


②→純粋に楽しそうだから自分も混ざりたい。でも口に出して仲間に入ろうとするのはまだ難しいから女の子の前に立ってしまったが、邪魔をしようとしたつもりではない。


こういう時に保育士の本領が発揮されると思っている。


その場で遊びを続行させるのは無理だろうと考えて自然な流れで変えていった。

男の子を隣に呼び、「(5歳の)お姉ちゃんトンネルにGO!」と言って2人で車を転がして5歳の子にはトンネル役をしてもらった。


何が正解で何が間違いかわからない子どもへの対応だけど、日々関われば関わるほど奥が深くて楽しいなとも思える。


一度は辞めた保育の道だったけど、戻ってきてみてやっぱり楽しいなと思えている。


これからも毎日試行錯誤しながら可愛い子どもたちと成長していきたい。

(締め方あってる?)