ゆるめの観察日記

書き留めたい衝動に駆られたら。

人生の分岐点

 


タイトルがかなり大袈裟な気もするけど

確実に大きな出来事があったことに違いないので

少し気持ちの整理がついた今だから書き留めておく。

 

 

時は遡って先月末。

中学3年生の頃に我が家へとやって来た愛犬のジャックか

7月に入ってから今まで以上に著しく弱っていっていた。

もともと暑いのは苦手だが今年は本当にしんどそうで、

食べることが大好きだったのにおやつを拒むようになり

朝晩2回の食事もほとんど口にしなくなっていた。

 

12歳の老犬にとって「食べない」という状態は

あまり先は長くないという意味を指すことは分かっていた。

いままで犬と一緒に暮らしたことのなかった私にとって

ジャックとの生活全てが初めての体験だった。

 

老いてきているという実感は一昨年くらいからあった。

ただ、どのようにして生涯を終えるのか…?

考えたくもなかったし、本当に最後まで分からなかった。

でも冷静で居たかった私はネットの海へと飛び込んだ。

 

今時、調べるといくらでも情報は出てくる。

「老衰 犬 最期」など思いつくワードを入れては読み漁る。

リアルな体験記を書いている人もいた。咄嗟に目を背けた。

 

別れが近いことを悟りつつもまだ離れたくない気持ち。

葛藤しながらもジャックはどんどんと弱っていく。

排泄のコントロールが上手く出来なくなっていたので

ジャックがいる場所の横で寝る生活を2週間続けた。

昔から粗相してしまった時は鳴いて教えてくれていたが

今は声も出ず、静かに部屋へ歩いて来てくれたのには驚いた。

 

介護生活が始まってずっとジャックが気になり眠れなかった。

少し寝て目が覚めては息をしているかどうかを確認し、

外で用を足したいジャックのために散歩へ出たりもした。

 

しかしその生活も長くは続かなかった。

食欲が無いから体力も減り、日に日に動かなくなる身体。

遂に後ろ足が言うことを聞かなくなってしまった。

それでも排泄をして欲しいと考え、タオルを使って担架のように

ジャックを運んで外へ出たりもした。とてもしんどそうだった。

 

 

 

この『 ジャック介護生活、真夏編 』と並行して、

我が家ではもう一つ大変なことが起きていた。

 

2月から入院していた祖父の危篤のしらせ…

元々2月に入院したのも心停止したからであって、

むしろ夏まで命を繋いでいたのは奇跡のようだった。

そんな祖父もそろそろか…と病院から連絡があった。

 

祖母はほぼ毎日のようにこの暑い中面会に行っていた。

さすがに疲れが溜まっていたのだろう。

7/31の午前中、いつものように面会へ行って帰宅した時、

胸に少し違和感があったらしい。なんだか息も苦しい…

同じマンションに住むお友達に相談しにいったところ、

救急要請を進めて下さった。 すぐさま病院へと緊急搬送。

すると心筋梗塞に近い状態 (たこつぼ型心筋症) と診断され、

あれやあれよと言う間にICUへ。 緊急手術が行われた。

 

発見が早かったこともあり、結果からすると経過はとても良く、

いまは今まで通りの元気そうな姿を見せてくれている。

しかし、祖母が入院をして面会に行けなくなったからだろうか…

祖父はタイミングを見計らったかのように息を引き取った。

8/4のよく晴れた午前中だった。

祖母にはすぐには伝えず、息子である私の父に連絡が来て、

病院へと向かいその場で死亡の確認を行った。

 

翌日には葬儀が行われたが、スムーズな進行の裏で

祖母が事前から準備していたことを私は知っている。

女性は本当に強い。 祖父が心停止しか2月の時から

来るべき時に備えて葬儀などの手続きを済ませていた。

なので入院してしまっていた祖母も外泊許可を得て参加していたが、

少しでもしんどい思いを減らすことができただろう。

 

 

 

話はジャック編へと戻る。

この葬儀の間にもジャックはどんどん衰弱していた。

通夜・告別式には家族で参加したので家を空けないといけなかった。

色んな意味で気が気ではなかった。

もし留守中にひっそりと息を引き取っていたら…

考えれば考えるほど悪い方向へ発想は飛ばされる。

 

幸いにも祖父母の家から我が家は近かったので、

用事が終わればすぐに家へと戻り介護の日々へ引き戻される。

正直身体と心の色んなところがおかしくなりそうだった。

 

犬の介護はどれだけ続くかわからない。

数日や数週間、何年も続くこともあるそうだ。

弱っている状態を見るに、この夏を越えられるかどうかは、

正直怪しいんじゃないかと、うっすら思っていた私は

なんとか頑張ろう、と気合を入れてジャックと向き合って来た。

 

それでもなかなか上手くはいかない。

生活環境を整えてあげようとしていた時、

ペットシーツに乗った手を少し動かした時に思い切り噛まれてしまった。

大型犬の本気の一噛みは尋常じゃないくらい痛い。血もいっぱい出る。

今までにも何度か手や腕を噛まれたことはあったが、

メンタルがやられている時の一噛みは流石に堪えてしまった。

それでも介護をしてあげないといけない。

「この生活が早く終わればいいのに」と思うようになっていた。

 

 

そんな極限状態の中で祖父の葬儀を土曜日に終え、日曜日が過ぎ

仕事のある月曜日。いつものように弱っているジャックを横目に出勤し、

退勤してすぐに携帯に目をやる。父からのラインが入っていた。

 

「ジャックがやばいかも」「目に力がない」

 

嫌な予感がして早歩きをして家へと向かう。

帰宅すると、たしかに目がうつろで息もゆっくりな状態…

今夜は眠れないだろうと覚悟をし、家族はそれぞれ順番に

食事をとりながらジャックのそばに居てあげていた。

 

晩御飯を食べ終え、長い夜を覚悟した上でコンタクトレンズを外しに

洗面所へと向かい用意をしていた時に階下から大きな声がした。

 

ジャックのそばに居てくれていた弟①が

「誰か来て、止まってるかもしれん」と言っている。

急いで階段を駆け下りジャックの元へと向かう。

確かに息をしていない… 開いていた目も閉じている。

 

話を聞くと、洗面所へ向かう時に私と入れ違いで弟①が来て

ジャックの隣に座った時にふっと力が抜けたように脱力し、

失禁をしたかと思った次の瞬間には息を引き取っていたようだった。

 

 

ジャックは弟①のことが本当に好きだった。

家族が帰宅した時に見せる反応はそれぞれ違っていたのだが、

主におやつをくれる母と弟①にはテンションが上がっていたのだ。

声を出してハイテンションで出迎えていた。

(ちなみに私と父はお世話をよくしていたのに塩対応だった)

(それはそれでジャックの可愛いところなので気にしていない)

 

そんな大好きな弟①が来てくれたことによる安心感からか、

苦しむこともなくゆっくりと息を引き取ったジャックの顔は

本当に最期の最期までイケメンだった。まだ動きそうだったし。

 

でも本当に大変なのはここからだと言うことも知っていた。

2〜3時間ほどするも死後硬直してしまうため、

前足と後ろ足を身体の方に丸めて全身を拭いてあげた。

ショックではあるし悲しいのはもちろんだけど、

何かしら身体を動かさないと気が気じゃなかった。

母に「あんた気丈やなぁ…」と感心された。

そういうところも自分らしいなと思った。

 

その翌日には大きな段ボールやドライアイスなどを

父が手配してくれて、程なくして火葬場へと家族と向かった。

 

なんだか最期は呆気なかった。

調べればペットの葬儀も人間同様に行えることも知っていたが、

骨壷が帰って来たところで悲しみは消えないのだろうし、

色々家族会議をした結果、火葬だけを行うことに決めた。

 

山奥の斎場につき、重量を測ってもらう。

以前病院で測ってもらった時よりだいぶ軽くなっていた。

 

その日には時間が遅いからと火葬してもらえなかった。

翌日の朝一番に、と言ってもらいその場を後にしないといけなかった。

なんて残酷なんだ…と思ったがこれもけじめか、と思うしかなかった。

 

12年5ヶ月一緒に居たジャックとの別れはあまりにも呆気なかった。

涙も出なかった。

亡くなった、と言う悲しみはむしろ少なかったんじゃないかと思う。

日に日に弱っていく姿を見ていたので、覚悟はできていた。

むしろ2週間経った今、「本当に居ないんだ」という実感が湧いて

ペットロス状態に陥っている。これはこれで結構悲しい。

 

今まで当たり前のように朝・晩2回の散歩に一緒に行っていた。

それがなくなった自分の日常はあまりにも退屈で面白みがない。

人生が無色に変わってしまったような気がする。

 

散歩コースだった道を一人で歩く、、、

いつも隣に居たジャックはもう居ない。

 

遺骨は戻ってこないし、ジャックの食べていたおやつなどは

知り合いに分けてしまったので居た形跡は無くなってしまった。

空っぽで少し広くなった玄関。なんて寂しいんだろう。

 

もう一度でいいから一緒に散歩に行きたかったなぁ。

最後にちゃんと歩いて散歩へ行った日、ジャックは途中で

道の真ん中に倒れ込んで動けなくなってしまった。

あれが最後の散歩になるとは思っていなかったけど、

もっと早く切り上げて家に帰ってあげていれば…なんて

後悔はいくらでも出てくる。 でも正解なんて未だに分からない。

全力で向き合ったこの経験は、きっと一生の財産だ。

 

 

締め方がわからなくなってしまったけど…

私の人生において大きな影響を与えてくれたジャック。

本当に本当に長い間ありがとう。

朝起きられない私がジャックの散歩のために起きたり、

実は生活にかなり影響を与えてくれていたんだよ。

朝起きる意味がなくなってしまった今、時間を持て余しています。

 

今頃何をしているんだろう。

また前のように歩けているのなら、

大好きな散歩をいっぱいしていてください。

もしかしたらいっぱい仲間ができているかも?

ささみもいっぱい食べてね。

 

ずーっとずっと、だいすきだよ。